2016年4月23日土曜日

16.生活の中の〇〇

こんにちは、青木です。思ったことを書く。少し長くなりそう。
今日のテーマは「生活の中の〇〇」。
うまくまとまるかどうか不明であるが、少々退屈な話になること請け合いである。

以前、アートイベントと枠組みみたいな話を書いて、なんとなくもやもやが残っており、いまなお晴れない。
最近はちょっとカルチャーショックが多すぎて私かなりショック!
世界全体の問題が自身の問題であるかのようで、これはいかんと思っている。一笑に付す感じで臨みたいものだ。

さて、で今日は生活の中の〇〇ということで、この〇〇にはたぶんアート的なものやら音楽なんかが入れようかなという感じで進めたい。

いろいろ頭をよぎるところとして、音楽とか絵とか、アート的なものは我々にとって必要なのかなぁ。というところ。

ここに1つ助け舟を出してくれたのが江戸時代だ。江戸時代は俺が好きなエラの一つである。フローティングワールドという半ば最強の考えに到達したのすごいと思う。「いたずらに」外国文化に染まるよりは鎖国推奨である。

芸術だとか美みたいなものの日本における発生は明治期かららしい。ここんところでたぶん、枠組みが出来上がってしまったんだな。でもそう考えれば、江戸時代にも浮世絵とか歌舞伎なんてのもあったじゃない。それはどういう扱いなのか?
彼らはたぶんそういうのを芸術だとか美とかそういう枠組みで見ていないんだろう。

なんであったのかというと、彼らの生活にやっぱり必要だったからだ。

なんというか、けっこう当たり前のことそうであるが、なんとなくありがたい感じがする。やっぱりある程度生活を豊かにするためにはそういうのが必要なんだろうな。
だからまあ音楽もそういうことでしょうか。

当時の様相もいまとあんま変わってない気もする。江戸時代の人はたぶん器用なところがあるので、売れたいと思えばそれなりなものをそれなりで出していそうだ。実際、仏像とかその辺についていえば、木喰とか円空くらいしか評価されてないっぽい。その他の江戸時代のものの評価があまり高くないのは、たぶんなんとなく小手先がうまい感じや商売の匂いがするからだと思う。個人的に。
選択肢とかについてはいまのご時世は凄まじいことになっていそうだ。我々生活者はどうやったら自身の生活を豊かにできるんでしょうか…課題である。

今回述べきれなかったことも多くあるが(江戸時代以前の話とか、結局人の好き好きだとか、たぶんそのあたり)、今回はこんなところでしょうか。穴ばかりの独りよがりの意見ではあるが、ワウパンの活動が終わって暇だから、いらぬことばかり考えているんだよ!

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